思い描いた5つの夢を覚えています。
なりたい職業は5つです。
「サッカー選手 → プロレスラー → 添乗員 → 小説家 → ブロガー」の順番です。
本記事では、過去の5つの夢を振り返りつつ、経歴を紹介していきます。
この記事を読むことで、過去の夢が今につながっているがわかります。
※本記事は「自分語り」となり、有益性はありません(すみません)。
Contents
過去の5つの夢を振り返り、経歴を紹介【過去の夢が今につながる】
振り返ると「心×技×体 ∞ 遊×旅」と関連づけられることががわかります。
関連
- 心 → 小説家
- 技 → ブロガー
- 体 → サッカー選手、プロレスラー
- 遊ぶ → ゲーマー
- 旅をする → 添乗員
不思議です。
今やっていることは、過去に志していたことです。
やりたいことは、すでにやってしまっていたのです。
深掘りしていきます。
小学校時代の夢:サッカー選手
小学生の時に「キャプテン翼」のマンガに影響され、サッカー選手に憧れました。
サラリーマンを希望していた母親に反発の気持ちからです。
授業参観のとき「サッカー選手の夢」を書いた作文を発表したときの母親の顔は忘れられません。
喜んではいませんでした。
母親の顔を見て「思い通りにならない子どもはいらない」と言われた気がしました。
毒親です。
他の日の授業参観でも発表しなかっただけで、ひどく怒られたのです。
忘れられません。
中学校時代にサッカー選手の夢を諦める
中学校はサッカー部に入り、毎日練習に明け暮れる日々を過ごしました。
ポジションはMF(ミッドフィルダー)の右ウィングです。
長距離走が苦手で、短距離が得意でした。
そのためオープンスペースへ走らされるウィングだったのです。
なお小さな地方の地区大会ですが「優秀選手賞」をもらいました。
しかしサッカー選手の夢は下記理由であっさりと諦めました。
- 中学校のキツい練習
- 県大会のレベルの違い
「高校に進学してからもサッカーを続けよう」とは思わなかったのです。
高校時代の夢:プロレスラー
高校生になると獣神サンダーライガー選手に憧れて、プロレスラーを目指します。
»【バトルライガーの筋肉】獣神サンダーライガーの魅力は努力を隠すこと
高田延彦選手の言葉「ゆで卵の白身は高タンパク、低脂肪」に影響されました。
ゆで卵の白身だけをひたすら食べる時期もありました。
体重も60kg → 72kgまで増やしました。
しかしプロレスラーのスクワット3,000回という驚異の回数を聞いてプロレスラーへの道は諦めました。
無難に大学へ進学です。
進路選択の時期に「職業一覧」という雑誌をパラパラとめくっていたら「ツアーコンダクター」という職業のページだけ目にとまり、後のページはスルーしていました。
「ツアーコンダクター」だけ気になったのです。
「気になる」のは、呼ばれたからです。
どこから呼ばれたのか。
「天」です。
天職とは英語で「calling」です。
天職は探す必要はありません。
自分探しも不要です。
しかるべきタイミングで呼ばれるからです。
呼ばれたから、無視できず「気になる」のです。
以降、大学に入学し就職活動の時期になるまで呼ばれ続けます。
メモ:どうでもいい話
小学生の時に「キン肉マン」にも憧れてプロレスごっこをよくしていたことも、プロレスラーを志すことに起因しています。
今も子どもとプロレスごっこで遊びます。
高タンパク低脂肪のゆで卵は『キン肉マン』の作者の名前「ゆでたまご」なのです。
大学時代の夢:ツアーコンダクター
はっきり意識したわけではないですが、大学時代、ツアーコンダクターは気になっていた職業です。
当時のツアーコンダクターに対する気持ちを深掘りしていけば、言い訳ばかりでした。
- 英語は喋れない
- 旅行もそんなに好きではない
- 理系だからサービス業は向いてない
本音は「ツアーコンダクター」が気になって気になってしょうがないのです。
例えるなら「好きかどうかわからないけれど、気になる女の子」です。
才能や条件などを気にしなければ、すぐに「ツアーコンダクター」を志しています。
結局、就職活動の時期まで、他にやりたい仕事は見つかりません。
「将来の職業を決めなくてはいけない」という気持ちでしたが、具体的なイメージは湧いてこないのです。
当たり前です。
見つかるわけがないのです。
すでに気になっている職業があるのに、自分探しは無意味でした。
青春18切符で1人旅に出ても「ツアーコンダクター」だけは気になっていました。
就職活動の時期までの3年間、気になっていたのです。
結果として「気になる」という気持ちだけで旅行会社を希望し、2社(大手1社、中堅1社)から内定をいただきました。
迷ったあげく、転勤のない中堅旅行会社へ就職を決めたのです。
社会人(20代)の夢:小説家
仕事内容について少し書きます。
1.法人担当の旅行業務は4つ
2001年に都内にある旅行会社に入社し、法人のお客さまを担当しました。
仕事内容は、業務出張やMICEの営業・手配です。
メモ:MICEとは
以下の頭文字をとった造語で、ビジネストラベルの1つの形態です。
- Meeting(会議・研修・セミナー)
- Incentive tour(報奨・招待旅行)
- Convention またはConference(大会・学会・国際会議)
- Exhibition(展示会)
仕事は大きく4つです。
- 国内出張手配(個人=国内航空券、JR券、ホテル、レンタカー、専用車、パッケージツアーなど)
- 海外出張手配(個人=海外航空券、ホテル、査証、保険、専用車、、列車、WIFI、パッケージツアーなど)
- 国内MICE手配(団体:社員旅行、視察旅行、報奨旅行、会議、展示会など)
- 海外MICE手配(団体:社員旅行、視察旅行、報奨旅行、会議、展示会など)
入社して3年間は、ひたすら国内出張の手配を繰り返しました。
国内出張手配ができるようになると、国内MICE手配です。
国内MICE手配に際し、お客さまの希望があれば添乗員としてご一緒することもあります。
「ツアーコンダクター」としてのデビューです。
まだ1人で添乗はできなかったので、最初の数回は先輩の添乗に同行します。
毎日がむしゃらに23時まで仕事をしていました。
なお補足ですが旅行業界に進んだ動機は「添乗員が気になった」です。
他の同期たちのように「旅行が好き」という理由ではありません。
旅行に特別な期待を持ち合わせていなかったです。
「旅行が好き」で何かしらの期待して入社した同期たちは、現実とのズレや他の理由で辞めていきました。
同期は数人しか残っていません。
2.初添乗は都内日帰りツアーで、恐ろしく疲れる
初添乗は先輩の添乗のサブとして、都内日帰りの報奨旅行です。
バス3台のうちの1台を任されました。
感想は「たかだか日帰りの添乗がこんなにも気を使い、気力・体力を消耗する」です。
バスに座っているだけで疲れるのです。
初めての添乗なので何もできません。
マニュアルをこなせるかどうかも怪しいです。
味わったことのない疲れを感じました。
達成感はあった
お客さまと一緒に旅行をして、思い出を作ってもらい、一緒に帰ってくる。
喜んでもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
「楽しかった、またお願いします」
この言葉だけで十分なのです。
どんなに疲れても嬉しくて、笑顔に変わります。
3.添乗を全力でやる動機は、刑期の満了
憧れていた「ツアーコンダクター」は華やかそうに見える反面、とてつもなくしんどい仕事です。
添乗に行ったうちの5割はキツかったです。
半分です。
残り5割は楽しい気持ちもありました。
「5割も楽しければ十分じゃないか」という声も聞こえてきそうです。
残りの5割がすべてをかき消す辛さなのです。
「手の抜き方がわからない」もありますが、苦しい仕事でした。
メモ
- いつも気を使う
- 休めない
- 気力・体力の消耗
- クレームの対応
- 行程の段取り
- 協力機関との調整
- 運転手・ガイドとのやり取り
- 宴会時の同席
- 二次会・三次会の付き合い
- 睡眠不足
- その他
キツいのです。
普通の旅行でさえ疲れるのに、添乗は倍の疲れです。
とくに睡眠不足が効きます。
空を見上げて「なぜ神様はこんなにもキツい仕事をさせるのだろうか」と考えました。
神様から返ってきた返事は「全力でやれ」です。
添乗を全力でやり、神様に「もうそこまでやらなくていい」と言われるまで成長しない限り刑期は終わらないのです。
全力でやれば脱出できる。
無期懲役はない。
そう信じて全力で添乗に行きました。
4.旅行先の事前の下見は欠かせない
キツさを少しでも減らすために「旅行先の事前の下見」は欠かせません。
下見をしておけば余裕が生まれるからです。
添乗当日は「どうやって笑わせようか」と考えられるようになるのです。
身銭を切って下見に行きました。
添乗が決まっていれば旅館やホテルは割引をしてくれることが多いです。
プライベートな旅行はほとんどしたことがなく、下見でしか旅行に行かなかったのです。
5.旅行の仕事を継続しつつ、小説家を目指す
20代後半には国内MICE手配の仕事ができるようになり、2ヶ月に1回は添乗に出られるようになりました。
この頃から小説家になりたい夢を捨てられずに、少しずつ文章を書き始めます。
大学時代に村上春樹さんの小説や中谷彰宏さんの本をすべて読み、作家に憧れる気持ちがあったのです。
社会人として仕事を継続していましたが、憧れの気持ちがどこかに残っていました。
旅行の仕事に慣れてきて、普段の手配・営業・添乗にもやりがいを感じられるようになっていた頃です。
添乗も多くて2ヶ月に1回なので、その時だけ我慢すれば何とかなります。
添乗を通して成長できる側面はありました。
「成長」という収穫と引き換えに耐えられたのです。
現実逃避として、作家に憧れていました。
「いつか小説家になりたい」と思うようになっていったのです。
»【村上春樹の文章力】文章は何度も「読み直し、書き直し」でうまくなる
6.小説を書いてみて、小説家の夢を諦める
原稿用紙を買ってきて、手書きで小説を書き始めました。
小説の内容は「病院に通う主人公の彼女が突然消える」という、とんでもない話です。
6枚書いたら、それ以上は書けなくなりました。
小説を書くことの難しさを体感しました。
良い経験です。
この経験がなければ心の奥に「いつか小説家になりたい」という現実離れした夢を持ち続け「今の自分は本当の自分ではない」と思い続けるハメになるところだったのです。
何事も早めに体験しておくことは良いことです。
メリットしかないからです。
デメリットはありません。
こうして小説家の夢を諦めたのです。
社会人(30代)の夢:会社を辞めて、プロブロガー
仕事が回らず、会社を辞めることが夢になる
30代になり、仕事に脂が乗りだしたころです。
キャパシティ以上の仕事が獲れるようになってきました。
部署内ではトップセールスで、先輩2人分の粗利を叩き出したこともあります。
忙しい毎日です。
朝6時から終電まで徹底して、17時間仕事に没頭したこともあります。
仕事が終わらず、仕事が回らないのです。
土日出勤や会社に泊まりがけでも仕事が終わりません。
ついにクレームが出るようになり、休日にお客さまへ土下座に伺いました。
この時の状態を例えるなら、以下の繰り返しです。
たくさんの皿を回してたつもりが1人じゃ回しきれなくなる。
しだいに皿が地面に落ちはじめ、皿が次々に割れる。
割れた皿の破片を片付けている間に、別の皿が落ちて割れる。
ジャグリングなど、できるはずがありません。
大道芸は見るのは好きです。
しかし自分でできるわけがないのです。
ノイローゼ、適応障害、慢性蕁麻疹
ノイローゼです。
平日、週末関係なく仕事が頭から離れません。
抑うつ状態になり、出勤前の自宅や、通勤途中に涙を流すようになりました。
泣いたまま会社には行けないので、一駅手前で降りて、涙をふきながら歩いて会社に向かったものです。
辛いです。
この頃から「社畜」というキーワードを意識しだし「自分のことだ」と思うようになりました。
夢は何もありません。
会社を辞めることが夢です。
毎日「会社を辞めたい」を願っていました。
30代後半には本格的に心が壊れかけ心療内科に通い、体には慢性蕁麻疹が出るようになりました。
1年6ヶ月ガマンをしながら、会社を辞める夢を描きながら、仕事を続けてしまいました。
体が壊れても添乗は懸命にやりました。
刑期満了で、脱出するために。
神様の言った通り「脱出」には成功しました。
休職したからです。
仕事をまっとうし、体を壊すことで脱出できたのです。
ブログに出会い、プロブロガーに憧れる
心と体を壊し始め「会社を辞めたい」と思うようになってから、ブロガーという職業を知りました。
ブロガーに憧れるようになったのです。
ブログが辛い会社員生活から脱出させてくれると信じ、副業でブログを書き始めました。
» ブログを書くことで生まれ変わる【開かれた世界から閉じられた世界へ】
残念なことにブログは会社員生活から脱出させてはくれません。
お金を稼げなかったからです。
あくまで、辛い会社員生活から脱出させてくれたのは「仕事や添乗に打ち込んだ結果」なのです。
休職中(40代)の夢:今の生活を続けられるようになる
今の生活スタイルを続けることが夢です。
早朝に起き、午前中はブログを書き、午後は1冊本を読み、10kmのランニングをする。
夕方は子どもと遊び、ときどき旅をする。
夢は叶いました。
傷病手当金のおかげです。
傷病手当金がもらえる期限はあと1年3ヶ月です。
期限付きの夢です。
それまでにこの生活を続けられるようお金を稼げなくては、夢は消えてなくなります。
「期限付きの夢」は過去に叶えられなかった夢の集大成です。
過去に叶えられなかった夢たち
- 小説家 → 読む
- ブロガー → 書く
- サッカー選手、プロレスラー → 走る
- ゲーマー → 遊ぶ
- 添乗員 → 旅をする
夢は逃げません。
逃げるのはいつも自分です。
諦めないことです。
以上です。
P.S. 過去の夢を思い出そう。
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