2019年1月19日が会社へ復職するかどうかの回答期限です。
いったん復職する旨の連絡をしました。
考えがまとまらないまま、今日を迎えてしまっています。
なお休職日記のまとめは「【適応障害の休職日記】1週間、2週間、1ヶ月、3ヶ月、6ヶ月、2年」です。
Contents
【復職の電話】休職活動から復職へ
休職生活46日目。
朝起きて、部屋の掃除、アイロンがけをすませる。
アイロンがけでワイシャツのシワを伸ばしていくと、心のシワも伸びていくみたいで気持ちがいい。
»洗濯王子の『楽楽アイロン術』【アイロンは一生もののスキルです】
本日が会社へ復職するかどうかの回答期限
今日が、会社に復職するかどうかの連絡をしなくてはならない回答の期限日です。
ついにこの日が来てしまいました。
この日のために今日まで、本を読み、人に会い(会社の先輩、後輩、会社を辞めた先輩、姉、親、家族、友人、昔の友人、セミナーの先生)、考え、走り、旅に出かけ、厄除けに行き、お参りに行き、髪を切り、同業他社の見学に行き、ハローワークに行き、転職サイトに登録し、古いパソコンを売り、新しいパソコンを買い、机と椅子を新しくして、起業セミナー、心の初級セミナーに行き、開業届を出し、新ブログを立ち上げ、湘南マラソンに参加し、健康診断に行き、歯医者に行き、マッサージをしてと、色々なことをしてきた。
休職とは「仕事から離れて休むこと」だと思うが、自分は「休職」ではなく「休職活動」をしていたように思う。
休んでいない。
活動をしてきてしまっている。
体は元気だからという理由で、いつも行動してきた。
いつも動いていないと落ち着かない哀しい性を背負っているみたいに。
結局、手持ちの答えは「復職」しかない。
これでいいのだろうか。
迷いが消えない。
吹っ切れない。
自分で選んで、決められない。
流れに身を任せることしかできない気がする。
復職をして、会社に戻り、どの部署になろうが、自分を納得させるための材料は揃えてきたつもりだが、会社に戻って何をやりたいのかがわからない。
わかっているのは以下です。
- この部署には入りたくない
- この人とは働きたくない
- この人の部下では仕事はしたくない
嫌なことならすぐ思いつくが、結局、消去法なのでどこにもたどり着けないように感じる。
本音がわからない。
強制シャットダウン
ただ回答期限が今日なので、電話をするしかない。
強制シャットダウンするみたいに。
とりあえず流れに身を任せることしか、選択肢が残っていない。
既に焦りを抱えていたが「なるようになる」と自分に言い聞かせ、焦燥感を無理やり抑えつけてから、午前10時を過ぎたあたりで会社に電話をする。
電話に出たのは在職中にお世話になった方で、私の仕事を色々と引き継いでもらった。
私が電話したことを、もっと喜んでくれるものだとどこかで期待してしまっていたせいか、そっけない態度に驚きと寂しさにも似た気持ちを感じる。
上司に電話を取り次いでもらい、復職希望の旨を伝えたが、上司もそっけなくあまり嬉しそうではない。
「今後の仕事内容について、会社側と相談していかないとね」の呆気なさです。
電話を切ったあと不安になってきた。
居場所はあるのだろうか。
求められているのだろうか。
実は誰も自分など求めなくて、気づいてないのは自分だけじゃないだろうか。
そんな気持ちが湧き上がってきて、どうしても抑えられない。
なぜ上司は嬉しそうではないのだろう。
休職するときに「良い返事を期待しているからね」と言ってもらえたのに。
おかしい。
復職祝いは嬉しいのか?
復職することは、自分は嬉しいのだろうか。
嬉しくない。
嬉しいわけがない。
復職祝いなんて誰にもして欲しくない。
激励の言葉はいらない。
そんなもの求めていない。
復職が決まり、物事が前に進んでいく感覚が得られると、急に不安、焦り、恐怖心などに囲まれている自分に気づくことになった。
復職の電話をしてから、すぐにオープンカウンセリングへ行く
What do I do?
午後になっても不安感は消えない。
何だろう、この気持ちは。
本音がわからない。
私は何をしたいのだろう。
What do I do?
簡単な問いに答えられない。
考えて答えられないことは、問題でもなかったのか。
いずれにせよ、わからないのは、わかる。
オープンカウンセリングに飛び込む
ブログ更新をしたり、インターネットで休職から復職するにあたっての経験談を読んだりするが落ち着かない。
「復職が決まると焦る」と書いてあるが同じなのだろうか。
無性にカウンセリングを受けたくなってきた。
ネットで検索すると、1月5日に受けた初級セミナーの系列の認定講師がオープンカウンセリグというものを、本日、九段下で18:30〜20:30で開催していることを知る。
何でもいい、誰かに気持ちを話したい。
支払う金額は自分で決められるとのことなので、即、申し込んだ。
他のカウンセリング希望者と、同じ会議室でロの字になって座り、もし希望があれば先生と皆の前でカウンセリングをするらしい。
カウンセリングをしたくなければ、黙っていて座って、時間がきたら帰るだけもOKとのこと。
それなら参加しやすい。
九段下でカウンセリングを受ける
九段下の会場に10分前に着くと、そこは小さな会議室。
先生らしき人と、もう1名の計2人が既に隣り合って話をしている。
私が入ると、1人が帰る支度を始めたので、どうやらオープンカウンセリングの受講者ではないらしい。
オープンカウンセリングに来た人は、私だけになった。
先生に参加人数を伺うと、私を含めて2名のみ。
もう1名は少し遅れて来るとのこと。
したがって、先生と2人きりでカウンセリングが始まってしまう。
結局、18:30を過ぎても、会議室にいるのは先生と私だけだったので、カウンセリングがそのままスタートしてしまった。
先生の他に聞いている人がいないので、思っていることを包み隠さず話す。
1年半前から蕁麻疹になった経緯から始まって、休職に至るまでの道のりを。
»【慢性蕁麻疹が治らない】解決策は心を回復させて、自分を変えること
すべて話ができた。
何度もいろんな人に話してきた内容だ。
話せる。
30分は話したと思う。
先生は母親に関する質問をいくつか投げかけてくれ、どうやら私のガンバリやガマン、人からの頼みに断れない癖、相手主体の期待に応えようとする癖、その他色々な人格形成について、家庭環境が大きく影響していることがわかってきた。
6つ上の姉は私が小学生の時から家出を何度も繰り返していたが、母親から逃れるために家出を繰り返さなくてはならない家庭に育ってきた事実。
恐ろしい家に生まれ育ってきたのかもしれない。
負の遺産の連鎖が切れない
母親の親も厳しく、縛るタイプ。
そのまた親も同じタイプ。
負の遺産の連鎖です。
途切れることはありません。
母親の姉妹の子どもたちを見ても、働かない、引きこもり、家出、蒸発など、まともな家庭が1つもない。
偶然なのだろうか。
まともに育ってきた子どもがいないのだ。
先生から「よくガンバってきたね。ガマンしてきたね」と言われた時は、既に泣いていた。
涙を止められない。
復職希望の電話後の焦燥感についても、本音は「まだ会社に行きたいくない。働きたくない」とわかってきた。
「OK、正直に認めよう、会社に行きたくないのだ。できることなら働きたいと思うまで休んでいたいのだ」と。
気づくまで、時間がかかった。
会社に電話した時の相手の反応にがっかりしたのも、結局は「評価を他人に任せているからなのだ」と。
自分の人生を生きていない。
他者評価を重要なものと考えてしまっている。
自分で自分を受け入れられない気がする。
自分を受け入れられない、認められないから、常に成長しようとがんばる、他人の期待に応えようとする。
軸もないから、ブレまくる。
「認められたい、褒められたい、受け入れて欲しい」で過ごしてきてしまっている。
まだまだ自己否定の世界に浸かっている。
いつも満たされていないから、何かしていないと落ち着かない。
飽きるまで休職しなさい
思い出したように姉と話がしたくなった。
なぜ家出を繰り返したのか、どんな気持ちだったのか、とか。
先生に質問されれば、話したいことが次から次へと出てきて時間が足りない。
結果的に2時間のうち1時間15分を話してしまった。
先生からの結論は「心が回復していないのだから、もっと休職していいんだよ」
先生からそう言われると一時的に安心するが、少しすると「休職を続けていていいのか」という不安感が出てきてしまい、先生に何度も「休職を続けていていいのか」と繰り返し聞いてしまった。
休職を延長は、1番のタブーかつ勇気のいることだ。
それを破るのは勇気のいることだが、パターン崩しの1つだと思えばいいのかもしれない。
1番勇気のいることだけれど、少しワクワクしているのは気のせいだろうか。
先生からは「飽きるまで休職しなさい。休職のプロになりなさい」と言われて、少し気持ちが楽になった。
同席している受講者からコメントを頂くワークがあるのだが、コメントが下記。
- 人生を楽しんでいますね
- 人間味のある人生ですね
これを聞いて、自分は人生を楽しんでないと思っていたのに、客観的に見ると楽しんで見えるらしい。
「自分が人生を楽しんでる?そんなことあるかいな」と思ってしまい、笑いすぎて悶絶しそうになった。
一転して、今度はもう1人のカウンセリングを先生と聞く立場になる。
聞いていて、まず思ったのが、みんな悩んでいること。
人の苦しんでいる悩みを聞くのは久しぶりのことだった。
聞いていて、これは苦しいだろうと想像する。
相談者が泣きだすと、自分も泣いてしまった。
うまくいくといいと思う。
自分には聞くことと、祈るしかできない。
私から相談者へのコメントへは下記。
- よく喋りますね
- 寝込んでいてもいい
- 人間味がありますね
- 2年8ヶ月も休職してプロですね
- 挑戦的で、行動力があります
- カウンセラーになったらどうですか
コメントは、実は自分にも当てはまるらしい。
なるほど。
「もっと寝込んでいてもいいのだ」と思えてきた。
休職延長を決めたら、母親に殺される夢を見る
苦しみの根はまだまだ消えないが、とりあえずは復職は撤回して、休職を延長することを決めた。
医者から傷病手当の診断書がもらえるかどうかが、心配。
自宅に帰り、ご飯を食べ、風呂に入り、布団に入るが、うまく寝付けない。
目を閉じると、過去のつらい思い出がよみがえってくる。
特に母親との関係を振り返っていた。
その夜、母親に開いたハサミで殺される夢を見た。
ハサミを開くと、刃が2つに分かれます。
分かれた一方の刃を素手で握りしめながら、もう一方の刃で切りかかってくるのです。
母は素手なので、血を流しながらです。
「私がこんなに苦しんでいるのに」と言わんばかりの形相で。
母親の顔が、子どもの頃に見た自分を受け入れてくれない時の怒りと冷たさが入り混じった顔だった。
恐怖を感じる。
ただその恐怖感は子どもの頃に受けたものと同じです。
子どもの頃というとだいぶ昔の話だが、当時の恐怖感がまだ身体に残っていたことを知る。
今となっては忘れていたはずの気持ちを思い出すハメになるなんて。
トラウマは、やはり残っていることを強く認識せざるを得なかった。
夜中の3時に目が覚め、そのまま眠れず、仕方がないのでインターネットで夢占いを調べる。
どうやら母親に殺される夢は「生まれ変わりの暗示」らしいから、悪い夢ではなさそう。
これからの人生、どうなるのだろうか。
とりあえずアイロンで、心のシワを伸ばし続けるしかないみたいだ。
以上です。
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