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自分の頑張りを認められない【最後はオーバーワークで鬱気味になる】

2019年4月9日

自分の頑張りを認められない【最後はオーバーワークで鬱気味になる】

2018年12月から適応障害で休職しています。

休職しても遊べません。
規則正しさが、自分を追い詰めます。

どうしても頑張ってしまうのです。
頑張らないと損した気持ちになるからです。

そんな私を止めるように体がサインを出してきました。
心が信号を送ってきました。

本記事では、自分の頑張りを認められない心理を考察しています。
この記事を読むことで、最後は焦りからオーバーワークで鬱気味になったことがわかります。

負のスパイラルです。

自分の頑張りを認められない→もっと頑張ってしまう→認められず、焦る→ムリしてオーバーワーク→心が鬱気味になる→体も痛みを訴えてくる

記事後半では「整体の先生の言葉」で救われました。

自分の頑張りを認められない【なぜこんなにも頑張ろうとするのか】

自分の頑張りを認められない【なぜこんなにも頑張ろうとするのか】

休職中に「せっかくいただいた長期休みだから」という理由で、いろんなことを頑張ってしまいます。

「後悔の休職生活にしなきゃ」という切迫感から、自分の首を吊し上げてしまうのです。
会社員の時、身体が壊れるまでそうしたように。

朝4時から数学検定準二級を解く

「休職中の04:00〜07:00は、心技体の『技』の強化に努める」と誓いました。

以下、具体例です。

  • 英語(多読)
  • 数学(検定準二級)
  • 国語(社説写し)

朝4時起きで、中学校の英語教科書の音読し、数学検定準二級の過去問(1次試験)を解くのです。

数学は正答率64%でした。
合格点70%なので不合格です。
2次試験の問題をパラパラと眺めました。
難しそうなので、勉強が必要です。
数学は攻略したい勉強のひとつです。
»【数学検定準2級の対策】過去問題集2冊+記述式演習帳1冊を解いた

ただ「どうして、がんばる?」と、もう1人の自分がつぶやきます。
「なぜ、成長したい?」という自問自答に、怖くて答えられません。

自分を見つめていき「もうがんばらなくいい」となると「過去」を否定する気持ちになりそうで怖いのです。

がんばっていると安心です。
やるべきことをやっている感があるからです。

ただがんばらない自分を受け入れられません。
ダラダラ何もしない自分を責めたくなるのです。

一生がんばり続ける人生に意味があるのか。
誰のために、がんばっているのか。
がんばらないと、誰に拒否されそうなのか。

数学は解けても、わからないのです。
»独学で高校数学をやり直し、おすすめ参考書3選【計算力+中学数学も】

落ち着かない、何も楽しめない

「頑張らないと認められない」という不安感があります。
「充実した休職期間にすべき」というMUSTに縛られています。

「何もしない、頑張らない、努力しない、サボる」を会社員時代にしてこなかったせいか、落ち着かないのです。

ムダな時間に耐えられない、じっと座っていられない、という哀しい性です。

悲しいことです。
何も楽しめないのです。

もう好きなことも、わからない

シンプルに「好きなことが何か」わからなくなっていました。

楽しめないからです。
混乱しているかもしれません。

試しにマンガを読んでみましたが、心が落ち着きません。

「マンガを早く読まなくては」とすら思ってしまいます。
純粋にのんびりできないのです。

自分がそばにいる限り、辛い人生がつきまといます。
「一生このままなら、どうしよう」と暗くなります。

「休職中に転職活動しよう」という気持ちも消えました。

「ランサーズで仕事」の気持ちもありません。
休むのがこんなにも難しいとは、完全なる想定外です。

自分を大事にする。
自分を大事にする。
自分を大事にする。

【焦り、ムリ、頑張り】オーバーワークで鬱になる【心の信号】

【焦り、ムリ、頑張り】オーバーワークで鬱になる【新年度スタート、取り残された感】

4月1日になり、私の所属している会社では新年度がスタートです。

休職しているので出遅れた感じ

適応障害のため休職しているので、スタート初日に出社できていない自分を嫌でも意識せざるを得ません。

ひとり取り残された感じが強いです。

「社会不適合者」というキーワードが頭をかすめますが、かすめるだけです。
まだ根付いてはいません。
「社会不適合者」と自分で認めてない感じです。
「これから先どうなるのだろう」という気持ちは常に感じています。
社会に復帰できるのだろうか。
不安です。

いつの間にか「早く社会に復帰しなければならない」「早く回復しなければならない」「早く社会に貢献しなければならない」と思っています。
焦りにも似た気持ちになっています。

「〜しなければならない」という思考です。

復帰しなければならないのだろうか。
焦ってもしようがない。
焦っても良いことはない。

「焦るな」

そんな声がどこかから聞こえてきます。

自分への言い訳としては、ランニングは雨が降りそうだったのと、読書はブログに時間がかかったからです。
できないことに目が向いてしまい、あまり良い精神状態ではないと感じます。

ノルマは達成しなければならない。

新年度から良くない思考にとりつかれています。

「〜してもよい」と考えられれば嬉しいのですが。

うまくいかなかったら「〜するべき」から自由になってみる。
「〜するべき」が多いほどエネルギーを使い、消耗するから。

苦しいときは立ち止まり、以下のように考えてみる。

  • 〜してもよい
  • 違う考えができるかもしれない
  • 〜するべきじゃないかもしれない

「べき」が少ない人ほどラクに生きてます。

オーバーワークで鬱になる

ブログに8時間を費やしてしまったせいです。
完全にオーバーワークになってしまいました。
気づいたら没頭していたのです。
没頭できることは良いことと思える反面、半ば自分への強制感がそうさせた気がします。
その結果かどうかわかりませんが、17時過ぎにガクンと気持ちが落ち込みました。

完全に鬱になりました。

「横になっていたい」
そんな気持ちになったのです。

いつも通り小学校に子どもを迎えに行くことは何とかできましたが、帰ってきてからは布団を引いてしばらく横になっていました。

会社に出社したら、こんな感じにブレーカーが落ちるのではないか。
そんな想像が浮かんできます。

いずれにせよ自分がわかっていません。
腰に痛みを感じるようにもなりました。

腰も訴えているのです。
「少し無理をしすぎではないの?」と。

体の声に耳を傾ける

「午後にブログを書くのはやめなさい。午後はリラックスの時間に費やしなさい。ブログをもっとやりたいのであれば、もっと早く寝て、早く起きて朝の時間にやりなさい」と聞こえてきました。

午後にブログを書くのを辞めてみます。

無理をしない。

これが難しいのです。
ついつい気づいたら頑張ってしまうのです。

長年しみついた習慣です。

頑張りぐせです。
良い習慣ではないです。
状況次第では「百害あって一利なし」です。

無理はしない。

何度でも体の声に耳を傾けて、自分に言い聞かせる必要があります。

規則正しさを捨てるのが難しい

2019年3月からから規則正しい生活を送っています。

たまに朝起きるのが辛いときもあります。
休職しているのだから「仕事をするようにブログを書かなくてもいいのではないか」と思うこともあります。

もっともっとダラダラして、もっと遊びに時間を使ってもいいのではないかと。

ドラクエ11や小説などやりたいことはありますが、平日の遊びは落ち着きません。
損した気持ちになるからです。

平日は仕事をするようにブログを書いているほうが、はるかに落ち着くのはどういうわけだろう。

「規則正しくなくてもいい」と自分に言い聞かせてみますが、今は「規則正しさの充実感」を感じた方が幸せに思えてきます

ときどき規則正しさが苦しさを呼ぶこともあるけれど「いつものことだ」と思うようにしています。

人間に波があるのは当然なのです。

腰の痛みは、体の信号

腰の痛みは、体の信号

頑張りすぎで、腰が痛みを訴えてくる

腰の痛みが辛くなってきました。
また頑張り癖に陥っているのか、腰が痛みを訴えてきています。

ブログに没頭している自分を「頑張っている」と感じている。

頑張りすぎです。

休職しているのに毎日のノルマとして、ブログ更新、読書、ランニング10kmを自分に課して継続している。
はたから見れば「休職しているのだから、そんなにストイックにならずに休めばいいのに」といった感想を抱くかもしれない。
自分でも「おかしいな」と思う。
なぜこんなにも頑張ってしまうのだろうか。

「自分に価値がない」と思っているからだろうか。
「充実した休職生活を送らなければならない」と思っているせいだろうか。
「充実した人生を送らなければ価値がない」と思っているせいだろうか。

その通りだろう。

自分の本音がわからなくなる。
こんなことを考えてしまうので、そうなのだろうと思う。

無益な時間を1分も過ごしたくないと思っている。
自分を肯定することを遠くに感じる。

頑張っているせいか、右側の腰に痛みを感じるようになってきた。
私に遠慮なく痛みを訴えるようになってきたのだ。

座りすぎが影響しているのだろうか。

耳をすませて腰の声を聞いてみる。
腰が「ブログを頑張りすぎだよ」と言っているのが聞こえてくる。

そんなことをわざわざ腰に言われなくても、自分が1番よくわかっている。
頭では頑張り過ぎなのはわかっているけれど、頑張る以外、どうすることもできない。
体を止められないのだ。

無理強いをさせられている体が悲鳴を上げてくる。
腰が「頑張りすぎだよ」と訴えてくる。
その声を無視して頑張り続ける。

結局は頭でわかっていても、体ではわかっていないのです。

» 自分の頑張りを認められない【不安感、楽しめない、自分を大事にする】

体も心も、それぞれ言い分がある

腰の訴えもよくわかるけれど、手も文章を書きたがっているのだ。
脳もブログをやりたがっているのだ。

みんなそれぞれの言い分があるのだ。

それがよくわかった。

わかったけれど、腰のことはどうすればいいのかわからない。
無視するわけにもいかない。

「体同士で、適当に会議でも始めて、今後のことを話し合ってくれないかな。どうすればいいかだけ教えてもらえると助かるのだけれど」

そんな気持ちにさえなっていた。

調子の波、人間は波

誰にでも好調、不調の波はあるのものです。
調子の波が上がったり、下がったり、人間は波でできているのだ。

波動だ。
確か物理の時間にそんなことを教わった記憶がある。
ちょっと違うかもしれない。
かまわない。
元気が出るならそれでいいじゃないか。

いつも良い波が来るとは限りません。
調子が良い波が来たら、またそれに乗ろう。

不調の時は受け入れながら、調子の良い波を待とう。
不調の波はできるだけ短期間で終わらせ、少しでも早く好調の波を引き寄せよう。
スランプの期間は短い方がいいです。

強がりでもそう言うことしか、待つことしか、今はできそうもない。

お世話になった整体の先生から手紙が届く

言葉

14時前に家に帰り、昼食後に部屋に掃除機をかける。
モテる読書術」を読みつつ、しばし休憩です。
16時にランニングに出ようと思ったが、強風のため中止しました。
その時にポストに手紙が入っていることに気づきました。

以前、お世話になった埼玉の整体師さんからの手紙です。

手紙には刺さる言葉が7つ

  1. 1歩1歩を楽しんで進む
  2. 自分のための時間を優先して取る
  3. 体と心が元気になると、家族も元気になっていく
  4. 誰かを変えようとするよりも、自分を変える
  5. 身体が歪む姿勢をとり続けたのは、自分よりも何かを優先したせい
  6. 自分だけが我慢すればいい、自分の想いに蓋閉めて「自分なんて」と辛い姿勢をとり続けた結果が歪み
  7. 心理的な原因で、痛みや症状を作りやすい体の使い方や扱い方になる

手紙を読んで「自分よりもブログを優先してしまっていた」と気づけました。
先生が教えてくれたし、腰も教えてくれたのです。

気づいて治していかないと、腰はひどくなると予想できます。

先生へメールでお礼をすると、すぐに返信をいただいた。
グッとくる言葉が3つあり、うれしいです。

  • たまには緩めながら、生きている充実感を感じる疲れすら楽しもう
  • 頑張りたい時もある。そんな自分を応援してあげよう
  • 腰をさすり、可愛がってあげよう

「頑張っている自分を否定しなくてもいいかな」と思えた

自分を可愛がりながら、自分を応援してあげる。
自己否定する必要なんてなかった。
いたわりながら、やりたいようにやらせてあげればいい。

腰の声を、もう一度聞いてみる。
こんな声が聞こえてくる。

「頑張ってもいいけど、睡眠時間は7時間は取ってくれよな。6時間未満の睡眠は良くないぜ」

以上です。

P.S. 腰の言い分も聞いてあげます

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