親愛なる君に
今までに思い描いた自分の夢を5つ覚えています。
なりたい職業は5つです。
下記ツイートをしました。
ノウルさん
サッカー選手→プロレスラー→小説家→添乗員→ブロガーです— こーいち (@KoichiBlog) May 10, 2019
ノウルさん
サッカー選手→プロレスラー→小説家→添乗員→ブロガーです
正しくは『サッカー選手→プロレスラー→添乗員→小説家→プロブロガー』の順番です。
本記事では、過去の5つの夢を振り返りつつ、経歴を紹介していきます。
この記事を読むことで、過去の夢が今につながっていることを知ることができます。
目次
過去の5つの夢を振り返り、経歴を紹介
改めて振り返ると、今やっている『読む×書く×書く∞走る×旅をする』と関連づけられることががわかります。
関連 ・読む→小説家
・書く→ブロガー
・走る→サッカー選手
・遊ぶ→プロレスラー
・旅をする→添乗員
不思議です。
今やっていることは、過去に志していたことです。
やりたいことは、すでにやってしまっていたのです。
深掘りしていきます。
1.小学校時代の夢はサッカー選手
小学生の時に『キャプテン翼』のマンガに影響され、サッカー選手に憧れました。
サラリーマンになってもらいたかった母親に反発する気持ちを持っていました。
授業参観の時にサッカー選手の夢を書いた作文を発表した時の母親の顔は忘れられません。
決して喜んではいませんでした。
母親の顔を見て「自分の思い通りにならない子供はいらない」と言われた気がしました。
毒親です。
他の日の授業参観でも手を挙げて発表しなかっただけで、家に帰るとひどく怒られました。
忘れられません。
2.中学校時代にサッカー選手の夢を諦める
中学校はサッカー部に入り、毎日練習に明け暮れる日々を過ごしました。
ポジションはMF(ミッドフィルダー)の右ウィングです。
長距離走が苦手で、短距離が得意でした。
そのためオープンスペースへ走らされるウィングだったのです。
不思議なことに、このブログテーマもWINGです。
縁を感じます。
なお、小さな地方の地区大会ですが『優秀選手賞』をもらいました。
サッカー選手の夢は、下記を理由にあっさりと諦めました。
・中学校のキツい練習
・県大会のレベルの違い
「高校に進学してからもサッカーを続けよう」とは思わなかったのです。
3.高校時代の夢はプロレスラー
高校生になると獣神サンダーライガー選手に憧れて、プロレスラーを目指します。
高田延彦選手の「ゆで卵の白身は高タンパク、低脂肪」という言葉に影響を受け、ゆで卵の白身だけをひたすら食べる時期もありました。
体重も60kg→72kgまで増やしましたが、プロレスラーのスクワット3,000回という驚異の回数を聞いてプロレスラーへの道は諦めました。
無難に大学へ進学です。
進路選択の時期に『職業一覧』という雑誌をパラパラとめくっていたら『ツアーコンダクター』という職業のページだけ目にとまり、後のページはスルーしていました。
『ツアーコンダクター』だけ気になったのです。
以降、大学に入学し就職活動の時期になるまで、気になることになります。
メモ
小学生の時にマンガ『キン肉マン』にも憧れてプロレスごっこをよくしていたことも、プロレスラーを志すことに起因しています。
今も子供とプロレスごっこで遊びます。
さらに高タンパク低脂肪のゆで卵は、『キン肉マン』の作者の名前「ゆでたまご」なのです。
4.大学時代の夢はツアーコンダクター
夢とはっきり意識したわけではないですが、大学時代、ツアーコンダクターは気になっていた職業です。
当時のツアーコンダクターに対する気持ちを深掘りしていけば、下記の言い訳ばかりでした。
・理系だからサービス業は向いてない
・旅行もそんなに好きではない
・英語は喋れない」という言い訳だらけです。
本音は、『ツアーコンダクター』という職業が気になっていたのです。
例えるなら「好きかどうかわからないけれど、気になる女の子」という感じです。
才能や条件などを気にしなければ、すぐに『ツアーコンダクター』を志していたはずです。
結局、就職活動の時期になるまで、他にやりたい仕事は特に見つかりませんでした。
「将来の職業を決めなくてはいけない」という気持ちは持っていましたが、具体的なイメージは湧いてこないのです。
当たり前です。
見つかるわけがないのです。
すでに気になっている職業があるのに、自分探しすることは無意味でした。
青春18切符で自分探しの一人旅に出ても『ツアーコンダクター』だけは気になっていました。
就職活動の時期までの3年間、気になっていたのです。
結果として、「気になる」という気持ちだけで旅行会社を希望し、2社(大手1社、中堅1社)から内定をもらうことができました。
迷ったあげく、転勤のない旅行会社へ就職を決めたのです。
5.社会人(20代)の夢は小説家
仕事内容について少し書きます。
① 法人担当の旅行業務は4つ
2001年に都内にある旅行会社に入社し、法人のお客様を担当しました。
仕事内容は、業務出張やMICEの営業・手配になります。
メモ
MICEとは
Meeting(会議・研修・セミナー)、Incentive tour(報奨・招待旅行)、Convention またはConference(大会・学会・国際会議)、Exhibition(展示会)の頭文字をとった造語で、ビジネストラベルの一つの形態。
仕事は大きく4つ分かれます。
法人担当の旅行業務
・国内出張手配(個人=国内航空券、JR券、ホテル、レンタカー、専用車、パッケージツアーなど)
・海外出張手配(個人=海外航空券、ホテル、査証、保険、専用車、、列車、WIFI、パッケージツアーなど)
・国内MICE手配(団体=社員旅行、視察旅行、報奨旅行、会議、展示会など)
・海外MICE手配(団体=社員旅行、視察旅行、報奨旅行、会議、展示会など)
入社して最初の3年はひたすら国内出張の手配を繰り返しました。
それができるようになると国内MICEの手配です。
国内MICE手配に際し、お客様の希望があれば添乗としてご一緒することもあります。
『ツアーコンダクター』としてのデビューです。
一人で添乗はまだできなかったので、最初の数回は先輩の添乗に同行します。
毎日がむしゃらに働き、よく23時くらいまで仕事をしていました。
なお、補足ですが旅行業界に進んだ動機は「添乗員という仕事が気になった」ので、他の同期たちのように「旅行が好き」という理由で入社したわけではありません。
仕事に特別な期待を持ち合わせていなかったです。
「旅行が好き」で仕事に何かしらの期待して入社した同期たちは、現実とのズレや他の理由でみんな辞めていきました。
今では同期は数人くらいしか残っていません。
② 初添乗は都内日帰りツアーで、恐ろしいほど疲れる
初添乗は先輩の添乗のサブとして、都内日帰りの報奨旅行です。
バス3台のうちの1台を任されました。
感想は「たかだか日帰りの添乗がこんなにも気を使い、気力・体力を消耗する」です。
バスに座っているだけで疲れるのです。
初めての添乗なので、大したことはできません。
マニュアルをこなせるかどうかも怪しいです。
それでも、今まで味わったことのない疲れを感じました。
達成感はあった
お客様と一緒に旅行をして、思い出を作ってもらい、一緒に帰ってくる。
喜んでもらえたら、こんなに嬉しいことはありません。
「楽しかった、またお願いします」
この言葉だけで十分なのです。
どんなに疲れても嬉しくて、笑顔になります。
③ 添乗を全力でやる動機は、刑期の満了
憧れていた『ツアーコンダクター』は華やかそうに見える反面、とてつもなくしんどい仕事です。
添乗に行ったうちの5割はキツかったです。
半分です。
残り5割は楽しい気持ちもありました。
「5割も楽しければ十分じゃないか」という声も聞こえてきそうですが、残りの5割がすべてをかき消すくらい辛いのです。
「手の抜き方がわからない」こともありましたが、それでも苦しい仕事でした。
メモ
・いつも気を使う
・休めない
・気力・体力の消耗
・クレームの対応
・行程の段取り
・協力機関との調整
・運転手・ガイドとのやり取り
・宴会時の同席
・二次会・三次会の付き合い
・睡眠不足
・その他
キツいのです。
普通の旅行でさえ疲れるのに、添乗は倍の疲れです。
睡眠不足が効きます。
空を見上げて「なぜ神様はこんなにもキツい仕事をさせるのだろうか」と思いました。
神様から返ってきた返事は「全力でやれ」です。
添乗を全力でやり、神様に「もうそこまでやらなくていい」と言われるまで成長しない限り刑期は終わらないのです。
全力でやれば脱出できる。
無期懲役はない。
そう信じて全力で添乗に行きました。
④ 旅行先の事前の下見は欠かせない
キツさを少しでも減らすために、旅行先の事前の下見は欠かせませんでした。
下見をしておけば余裕が生まれます。
添乗当日は「どうやって笑わせようか」くらいは考えられるようになるのです。
身銭を切って下見に行きましたが、添乗が決まっていれば旅館やホテルは宿泊代金の割引をしてくれることが多いです。
ゆえにプライベートな旅行はほとんどしたことがなく、下見でしか旅行に行かなかったのです。
⑤ 旅行の仕事を継続しつつ、小説家を目指す
20代後半には国内MICE手配の仕事ができるようになり、2ヶ月に1回は添乗に出られるようになってきました。
この頃から小説家になりたい夢を捨てられずに、少しずつ文章を書き始めます。
大学時代に村上春樹さんの小説や中谷彰宏さんの本をすべて読み、作家に憧れる気持ちがあったのです。
社会人として仕事を継続していましたが、憧れの気持ちがどこかに残っていました。
旅行の仕事に慣れてきて、普段の手配・営業・添乗にもやりがいを感じられるようになっていた頃です。
添乗も多くて2ヶ月に1回なので、その時だけ我慢すれば何とかなります。
添乗を通して成長できる側面はあったので、成長という収穫と引き換えに耐えることはできました。
それでも、現実逃避かもしれませんが作家に憧れていました。
「いつか小説家になりたい」と思うようになっていったのです。
⑥ 小説を書いてみて、小説家の夢を諦める
原稿用紙を買ってきて、手書きで小説を書き始めました。
小説の内容は、病院に通う主人公の彼女が突然消えるという、とんでもない話です。
6枚書いたら、それ以上は書けなくなりました。
小説を書くことの難しさを体感しました。
良い経験です。
この経験がなければ心の奥に「いつか小説家になりたい」という現実離れした夢を持ち続け、「今の自分は本当の自分ではない」と思い続けるハメになるところだったのです。
こうして小説家の夢を諦めたのです。
6.社会人(30代)の夢は会社を辞めること、プロブロガーになること
① 仕事が回らず、会社を辞めることが夢になる
30代になり、仕事に脂が乗りだした頃に自分のキャパシティ以上の仕事が獲れるようになってきました。
部署内ではトップセールスで、先輩二人分の粗利を叩き出したこともあります。
忙しい毎日です。
朝6時から終電まで徹底して仕事に没頭したこともあります。
とにかく仕事が終わらず、仕事がうまく回らなくなってきました。
土日出勤や会社に泊まりがけで仕事をするようになります。
それでも仕事が回りません。
クレームが出るようになり、休日にお客様のところに謝罪に伺いました。
この時の状態を例えるなら、たくさんの皿を回してたつもりが一人じゃ回しきれなくなり、しだいに皿が地面に落ちはじめ、割れた皿の破片を片付けている間に、別の皿が落ちて割れるの繰り返しです。
ジャグリングができるはずがありません。
大道芸は見るのは好きですが、自分でできるわけがないのです。
② ノイローゼ、適応障害、慢性蕁麻疹
ノイローゼです。
平日、週末関係なく仕事のことが頭から離れません。
抑うつ状態になり、出勤前の自宅や、通勤途中に涙を流すようになりました。
泣いたまま会社には行けないので、一駅手前で降りて、歩きながら涙をふき会社に向かったものです。
辛いです。
この頃から「社畜」というキーワードを意識しだし「自分のことだ」と思うようになりました。
夢は何もありません。
会社を辞めることが夢です。
毎日「会社を辞めたい」を願っていました。
30代後半には本格的に心が壊れかけ心療内科に通い、体にも慢性蕁麻疹が出るようになりました。
それでも1年6ヶ月ガマンをしながら、会社を辞める夢を描きながら、仕事を続けてしまいました。
自分の体が壊れても添乗は懸命にやりました。
刑期を満了して脱出するために。
神様の言った通り「脱出」には成功しました。
脱出というのは休職です。
仕事をまっとうし、体を壊すことで、休職し、脱出できたのです。
③ ブログに出会い、プロブロガーに憧れる
心と体を壊し始め、会社を辞めたいと思うようになってから、ブロガーという職業を知りました。
ブロガーに憧れるようになったのです。
ブログが辛い会社員生活から脱出させてくれるものと信じ、仕事をしながら副業としてブログを書き始めました。
ブログは会社員生活から脱出させてはくれませんでした。
お金を稼げなかったからです。
あくまで辛い会社員生活から脱出させてくれたのは、仕事や添乗に打ち込んだ結果なのです。
7.休職中(40代)の夢は、今の生活を続けられるようになること
今の生活スタイルを継続させることが夢です。
今の夢
早朝に起き、午前中はブログを書き、午後は1冊本を読み、10kmのランニングをする。
夕方は子供と遊び、ときどき旅をする。
今、この生活を送れていますので、夢は叶いました。
傷病手当金のおかげです。
傷病手当金がもらえる期限はあと1年3ヶ月です。
期限付きの夢です。
それまでにこの生活を続けられるようお金を稼げなくては、夢ははかなく消えてなくなります。
『今の起源付きの夢』は過去に叶えることができなかった夢たちの集大成です。
過去に叶えられなかった夢たち
・小説家→読む
・ブロガー→書く
・サッカー選手→走る
・プロレスラー→遊ぶ
・添乗員→旅をする
夢は逃げません
逃げるのはいつも自分ですね
あきらめないこと
— こーいち (@KoichiBlog) July 12, 2019
今、夢に向かっています。
こーいちより
P.S. 過去の夢を思い出そう。